幼稚園の先生が子どもにする「ある事」とは?

私たちの会社は10年前に英語で保育する

プリスクール(未就学児の教育・保育施設)としてスタートしました。

 

そして、今でも横浜ランドマークタワーの中で

このプリスクールを運営しています。

 

最初の卒園生は私の長男の和貴です。

 

もともと私は社会人人生のほとんどを起業家として生きてきたのですが、

会社のスタッフについて、いつも1つの不満を持っていました。

 

細かく指示すればできる人間はいるが、

自分で問題を発見したり、

大き過ぎる問題を与えてしまうと、

その解決策を自分で考えられる人は極めて少ない、ということです。

 

私はこの原因は教育にあるのではないか、

特に、幼児教育の影響が大きいのでは、

と考えるようになりました。

 

日本では、そしておそらく、世界のほとんどで、

教育というのは、先生からの指示をこなすこと、

になってしまっています。

 

これが指示待ち族を大量生産してしまう原因ではないかと。

 

そして、何とかそんな状況を改善したいと、

自分で幼児教育施設を作ったというのが、

実はこの会社の原点なのです。

 

イマジン・グローバル・ケアという会社名にも、

その思いが込められています。

 

実際にプリスクールを開校して、

世界中から先生を集めて思ったのですが、

経験豊かな先生ほど、

子どもたちに「ある事」をすることに気づきました。

 

「ある事」とは、

言葉は悪いですが、

「猿回しが猿に噛みつく」ような事です。

 

猿回しは、猿との主従関係をはっきりするため、

最初に猿に噛みつく、といいます。

 

幼稚園の先生がまさにそういうことをするのです。

 

もちろん、実際に園児に噛みついたりはしません。

 

しかし、「私は大人だから、先生だから、

子どものあなたはいうことを聞きなさい」

という自分に対する権威づけをやるのです。

 

そうすると、子供たちは、自分のやりたいことをするより、

先生の指示に従うことを優先してしまいます。

 

指示待ち族の源流はここにあるのだと思いました。

 

そもそも子供がいる空間は雑然としているのが当たり前ですが、

1人の先生で10人も、20人もの子供を見ようとすると、

どうしても教室は管理されていて、整然としていることを、

先生も親も求めてしまいます。

 

その方が秩序があるように見えますし、

そもそもみんながバラバラに好き勝手なことをしていては、

「危ない」からです。

 

しかし、子供の創造性は、それぞれが好き勝手に遊ぶ中から生まれます。

 

私のプリスクールでは、

先生と生徒の比率は1:3くらいです。

 

それによって、子供の安全性と、

先生が個々の子供に関心を寄せることを担保しています。

 

先生が子供に何でも指示することは良くありませんが、

子供に関心を寄せて、子供の興味に寄り添う教育を目指しています。

 

事業として、収益的には厳しいですが、

ここから世界に羽ばたく子供たちを

これからも見守り続けていきたいです。

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