アメリカで一番有名な日本人

ロッキー青木さんってご存知ですか?

アメリカで鉄板焼きチェーン、ベニハナを百店くらい展開した人です。

 

私が高校生でアメリカに交換留学した時に、

「アメリカで最も有名な日本人」

として、ニューズウィークの表紙を飾っていました。

 

ビジネスとしての成功はもちろん、

熱気球での太平洋横断に成功したり、

スピードボートの世界記録を打ち立てたりして、

ビジネスマンであり、冒険家という人でした。

 

私は高校生で、アメリカで全くアウェイな生活を送りつつ、

ニューズウィークの記事を見て、

こんなに立派な日本人がいるのか、と憧れたものです。

 

その高校時代から、15年後くらいに、

憧れのロッキーさんにインタビューすることができたのです。

 

当時私は、幼児教育施設を立ち上げて、

そのプログラムの一環として、

世界中で成功した人たちからの言葉をビデオに収め、

子どもたちにメッセージを伝えるという活動を行っていました。

 

文字通り、自分でビデオカメラを担いで世界中を駆け回り、

ノーベル学者や起業家に子どもたちへメッセージを収録させてもらっていたのです。

 

10人のノーベル賞学者、高級ホテルチェーンのフォーシーズンの創業者を始め、

多くの偉人たちからメッセージをいただきました。

 

その中でも、私がとりわけ感動し、

印象に残っているのが、ロッキー青木さんです。

 

それには、もちろん高校時代からの憧れというのもあります。

 

同時に、ロッキーさん、誰よりも熱心に私のお願いに応えてくれたのです。

 

ロッキーさんはスピードボートで何度も事故を起こし、

お医者さんから、もうこれ以上折る骨はないよ、と言われたそうです。

 

その治療のための輸血が原因で、C型肝炎にも感染してしまいました。

最終的には、それが原因で私の父と同じ肝臓がんで亡くなっています。

 

私がインタビューに伺った時には、

ニューヨークはマンハッタンのオフィスで2時間以上のインタビューに

お答えいただきました。

 

この世に生まれて来たからには、何かに挑戦すべきだ、

日本だけ見ていてもだめだ、世界を目指さないと。

ワーク・ハードなだけじゃ駄目だ、

ワーク・スマート(賢く)じゃなきゃいけない。

など、熱いメッセージを、体調も相当悪い中、2時間にも及んで、熱く語ってくれました。

 

今から思えば、自分の死期を察して、

ことさら、子どもたちにメッセージを残してくれようとしたのだと思います。

 

その後には、マンハッタンのご自身の豪邸にも招待いただき、

私にとってはかけがいのない思い出となりました。

 

ロッキーさんからの受けた、とてつもなく大きな恩を大切にして、

これからの若い人たちや、仕事を通じて、社会に還元して行けたらと思います。

f:id:brolico-blog:20160616111319j:plain